たぶん教師になるんだろうな

私は4人兄弟の末っ子に生まれて高校生の頃には1番上が学校の教員になり、2人目も続いて教員になり
私が大学生になる頃には3人目も教員になっていた
私も教育系の学部に進んだこともあり、「教員になるんだろううな」と感じていた
周りの友達やあまり話したことがない人でさえも会って少し話すと
「教師むいてそう!」とか「いい先生になりそう!」とかの言葉を頂いた
その言葉をもらうのはすごく嬉しかったし、自分も同じような思いでいた
心の中の違和感
「教師むいてそう!」とか「いい先生になりそう!」という言葉をもらうたびに
うれしさと同時に「本当に自分の進むべき道なのか?」と考える自分も心の奥底にいた
その違和感がはっきりと確信に変わったエピソードがあった
「私はバスケットボールを長年続けていて、試合に出たいという強い思いを持ってプレーしていた
私自身の実力不足で高校では出場時間が少なくなるということも経験して
大学時代には1軍から2軍に降格して試合のベンチメンバーに入れないという経験もした
試合に出たいという強い一心でプライベートの時間を削ってまで努力することができた結果
自分の置かれていた状況を覆して試合の出場時間を増やしたり、試合に出れるようにもなった」
このように本気でやりたいと思ったことには努力を重ねられる人間であるのに
ただ私は教師になることにモチベーションを感じることができなかったため
教員採用試験の勉強も取り組む姿勢をみせることすらできなかった
「向いている」と「やりたい」は違う
心の中の違和感の正体に気付いたのは最近だった

様々な理由を考えていたが、最終的にたどり着いたのは「自信のなさ」であった
どんな「自信のなさ」かというと
「今教師になって自分は子供たちに何を伝えられるだろうか?」
「自分には心の底から他者に伝えられるものがない」
という「自信のなさ」であった
そういう理由で教師になりたいというモチベーションが湧かなかったとやっと最近理解できて
少しモヤモヤが晴れたような気がした
ここから学んだことは周りも自分も向いていると思っていた教師であったが
「向いている」ことと「やりたいこと」はまったく別のものであると気付いた
もし教師になっていたら?

この自信のなさから当たり障りのないことを言って未来ある子供たちに希望を与えることができず
「先生の伝えたいことは?」
と子供たちにクエスチョンマークを投げかけられる先生になっていただろう
そのため、私は「自分自身が挑戦し、その挑戦の中で何かを掴む」ことが必要だと思った
まずやってみる
教師は素晴らしい仕事であって教師になることを否定しているわけではないし
いつか「本当に伝えたいもの」が見つかれば教師という道もあるかもしれない
ただ、私が思っているのは恐ろしく便利な世の中になったので
「人に何かを伝える」ことができる手段もたくさんある
今は「自分の本当に伝えたいこと」が生まれたときに備える必要がある
だからこそまずは「挑戦し、経験を積み自分の言葉に説得力を持たせる」ためにも
まずやってみるという姿勢で生きていこうと思っている
最後に
「向いている」と言われることは自分の可能性の1つかもしれない。
でもそれが本当に自分のやるべきこととは限らない。
大事なのは
「向いているから」ではなく「自分は何を成し遂げたいのか?」という視点で考えること
もし、あなたが「向いている」と言われることに私と同じように違和感を感じているなら
一度立ち止まって考えてみてほしい
「自分は何を伝えたいのか?」「本当にこの道を選びたいのか?」
そしてまだ答えが出ていないなら、
まずは「やってみる」ということから始めてみよう
その経験が、いつか本当に伝えたいものを見つけるヒントになるはずだから
コメント